消えたウクライナの金

Nov. 20, 2014

 

 ウクライナの国立銀行は正式に、国立銀行内の金庫には国が保有している42.3トンの金のうち33トン、時価総額でいえば150 から 200億ドル減少したことを明らかにした。国が保管していた金は、どのような理由で、どこに運び出されたのか。


 3月に東ウクライナのインターネット・ニュースサイトIskraで、ウクライナの金が米国に運ばれたことを報道した。Boryspil空港(キエフの西)職員の話によると、夜中の2時にナンバープレートが消されたトラック4台と郵送用ミニバス2台が突然現れ、そこから黒いユニフォーム、マスク、防犯服、マシンガンをもった男たち15人が出てきた。40箱が飛行機に積み込まれ、突然現れた男性数人が航空機に乗り込んだ後、緊急発着した。


 

 着陸目的地は米国のニューヨークであった。空港内でこの「奇妙な出来事」を目撃した航空職員は「何も見なかった事にするよう」口止めされた。



 つまりウクライナ騒動の最中、キエフから「ウクライナの金が米国に移された」のである。この金の移動を命令したのは当時暫定政府のアルセニー・ヤツェニュク首相であった。政権交代の前から、米国国務次官補のヴィクトリア・ニューランドは、親露政権を倒し、欧米派政権を設立するのが米国の対ロシア外交政策であり、米国はこれまで、政権交代の目的のために500億ドルを費やし、政治不安を起こすための反政権運動と機密工作を行ってきたことを明らかにしている。


 さらに米国は、元ウクライナ国立銀行幹部であったヤツェニュク氏を次期首相として選び、政権発足に動いたのである。では、搬送されたウクライナの金は政権交代を果たした代償として使われたのではないのかという自然な疑問が生じる。



 イラクのサダム・フセインやリビアのカダフィの政権転覆の際、米軍は金を持ち出したとされる。イラクの場合は主に、1990年のクウェート侵攻でサダム・フセインがクウェート中央銀行から盗み出した金で、リビアの場合は保有していた144トンが押収された。いつの時代も、紛争、戦争、政権交代に伴って、何故か金の所管も変わるのである。

 

 

 ウクライナの現政権は、国民に向けてロシアの侵略を恐れ、金を安全なニューヨーク連邦準備銀行に預けたと説明しているが、ニューヨーク連邦準備銀行はこの話は確認できないとしている。アメリカ国民や議会がフォート・ノックスにある自国の金の監査を要求しても拒否された。または、ドイツが冷戦中ニューヨーク連邦準備銀行に預けた1,536トンの金の返還を2012年に要求しても、わずか5トンしか返還されなかった。ウクライナの国民が自国の金の行方を知ることはないであろう。