ダイアナとリベリア

Nov. 1, 2014

 

 

 悲劇のヒロイン、ダイアナの死を忍んで1997 年にリベリアは100ドル金貨を発行した。いちはやい対応であった。ダイアナのアンゴラにおける地雷原撤去活動は有名であるが、何故リベリアの南のコンゴ共和国よりさらに南に位置するアンゴラの活動に貢献したダイアナにリベリアは敬意を持ったのだろうか。

 内戦が終結した2003 年以降に、リベリアへは鉱物、石油、農業へ180 億ドル(約1兆8000 万円)を超える投資があった。2013 年には100 万オンスの金の埋蔵場所が発見され、向こう8 年間は年間1 億2000 万ドル相当の12 万オンスの金が生産される。

 


 リベリア建国の歴史は1820 年にアメリカで解放された黒人奴隷88 人がニューヨークからシェラレオネに上陸したことに始る。しかしその背景にはアメリカ植民地協会が植民地としてのリベリア建国を目指していた事実があった。

 


 植民地リベリアは投資を受け発展し、1847 年にアフリカで特異な英語を主要言語とする共和国として独立を遂げた。

 アメリカ植民地協会の目的は奴隷解放後に大量に放出された「自由黒人」を母国に返すという博愛主義のもとに、資源大国アフリカを「合法的に」植民地化するということでもあった。


 自由黒人を今度はアフリカに追い返そうとしていたアメリカ植民地協会の先駆者はトマスジェファーソンであった。白人には自由平等を説く一方で自由黒人を将来の人種差別問題を予期して、アフリカに送り返そうとしたのはアメリカ建国の父の一人であったのだ。

 皮肉にも植民地リベリアから一人のリベリア人が凶悪なウイルスをアメリカに運んだ。