Samsung電子が7月8日に発表した2014年上半期の営業利益が、前年同期比で25%近く下落した。一方、ソニーは不振は業績全体の足を引っ張り、9月には2015年3月期連結決算が2300億円の赤字になるとの見通しモバイル事業の更迭人事を行った。これらは果たして事業方針の失敗によるものなのか、それとも意思決定にのみ責任を着せることはできないのだろうか。
対照的にappleのiphone6は(技術的には)際立った旧モデルとの差別化がみられないままに史上最高の売れ行きで、一時的にはandroidに対してiOS、つまりハード的な差が無いなら、売り上げの差はOSの差に結びつけたくはなる。はたして何が両者の差を生んだのだろうか。
米調査会社IDCは2014年3月4日、世界におけるPCの出荷台数が前年比6.1%減少し、2010年から続いた水準を切る予測を発表し、同じく米調査会社Gartnerは2014年7月7日、世界における端末出荷に関する調査予測としてタブレットの成長速度は緩やかになってきているものの、2015年にはPCを抜き去るとしている。
かつてまだPCが電子産業の花形であった頃、IBM会長は"PC is
over"という、当時としては謎めいたコメントを発して注目を集めた。その言葉の重みを皆が実感したのはそれからかなり時間が経ってからだが、この予言は的中した。混雑した量販店の中で人気のないコーナーがあるとしたらそこがPC売り場だ。まさに"PC is over"である。販売員も買い手の少なさに売ろうとする努力がみえない。
PCが消えつつある現象を表面的にとらえるのは、しかし誤りである。PCは消えたのではなく、姿をタブレットやスマホに変えたからである。(注)電子機器間の垣根が取り払われると棲み分けが薄れ、一般的なデスクトップ型PCは、マウスやキーボードという縛りを嫌うユーザーから「厄介者」とされたのである。それでもPCでの仕事が必要な職種のユーザーたちはモバイルPCという両者の中間機器を選択し、PCのフェードアウトはタブレットとスマホへの乗り移りでゆっくりと進められた。
(注)スマートフォンが席巻したのは、通信機能を持っているから、簡単にインタネット環境が構築出来ることと、小さく軽いため持ち運びが便利だったため。PCのように設定の知識が無くても使え、アプリも安くダウンロードで手に入るのも普及に貢献した。ただ、PCの代わりになり得ないのは、パワーがないのでオフィスソフトが使えないことにある。PCでもWi-Fiなど無しにネット環境を構築しようとしたのがWiMAXだが、PCで設定が面倒というハードルあり、普及しない。高速ネットに対応してモバイル化したPCと携帯の両面を持つスマホと携帯をとりのぞいたよりPCに近いタブレット。これらがPCにとって変わった。
PC事業の推移は半導体事業の展開と裏腹の関係にあった。PC部材である半導体生産の先頭にいた日本企業もコモデテイ化により減収となり、再編が加速され、国内はエルピーダと東芝との二強体制の様相を呈してきたが、それでも世界シェアはエルピーダと東芝を合わせても、Samsungには及ばない。そのSamsung電子が看板のGalaxy端末が苦戦して赤字になった。
一方でソニーの看板はExperiaである。GalaxyもExperiaもどちらもandroid端末としては高画質の大型画面や高速ネットワーク機能等の端末性能は優れていて、商品としての「買いたくなる」魅力はあった。これらは消えたはずのPCの生まれ変わりとしても認知できる有用性をもたらすはずであった。これらはandroid端末のハイエンドモデルにあり価格も性能もOSの差を除けばiphone6と競い合えたのに、両者とも後塵を拝したのは何故なのか。
その答えは"PC is
over"と同じ運命をたどりつつあるスマホ市場の動向にあるようだ。2019年度にはスマホが1億台を越える予測であるが増加の度合いは鈍化しつつあり、飽和に近づいているのだ。端末の低価格化はPC末期と同じ状況で、性能に差がなくなると価格だけで選ばれることになり、中国メーカーの同一性能機種が売れる必然性がでてくる。中国で安い機種だと$50で購入できる。これならコンビニに並べてもよい価格帯である。実際、androidもiOSも無料アプリでは差が付けられないから、いったんユーザーが手にしてしまえば差別化ができない。androidもiOSも差が無いといったら語弊だろうか。
部材ばかりでなく本体もコモデテイフェーズに入れば、ハイエンドモデルの意味、購入する魅力、がなくなるのは自然だ。この流れを無視して技術的優位で売れると思い込み端末販売拡大路線をとったソニー責任者はもちろんIBM会長のように、端末の大きな流れを見通すことができなかった執行部にも責任があるのではないか。スマホに乗り移ったPCで新しくできることがなくなったのだろう。
スマホ自体で出来る事が限界に達したのであれば新しい端末はどうあるべきか、ということより、新しい端末で何をするか、に答えをだす必要があるだろう。新しい経営者はそれに答えなくてはならない。ファミレスの雇われ店長のごとく、採算の取れない部門のヘッドを切り捨てするだけでは済まない。会社の切り売りと不動産を売って収支をつくろうその日暮らしでは未来はない。
もっとも気にするほどのブランド力もなくなりつつある今だからこそ、起死回生の新しい方向性が一気に開ける可能性はあるのかも知れない。