コンペ勝者Boeing2707の悲運

Aug. 16, 2015

Photo: FLY AWAY


国立競技場のデザインを巡って高騰した建設費への批判で、とうとう国際コンペそのものが白紙に戻されるにいたった。国際コンペ同様、ジェット旅客機の世界でも同じである。政府主導で大まかな仕様やイメージが示されると航空機メーカーが、具体的な設計と現実的な仕様をつくり、最終案がコンペで選出され型式証明取得のための機体が製造されていく。軍用機の場合には絞り込まれた機種の実機製作による比較もある。


現実にはZaha Hadidデザインのようにコンペを勝ち抜いても諸般の理由で実用化されない例も多い。またF22ラプターのように性能的にはライバル機(YF-23)の方が優秀であっても、政治力(注1)で結果が逆転して採用されてしまう場合もあり、コンペ優勝が最優秀設計案である、と言い難い部分もある。


(注1)ロッキードトライスターとマクダネルダグラスDC10のANAへの販売競争が収賄事件に発展した事件に代表されるように、航空会社の採用や開発機コンペに政治が介入することは珍しくない。



Photo: photobucket


 

開発当時を振り返ると亜音速旅客機で開かれた高速輸送時代は人々に超音速での高速移動の期待をいだかせ、SST(Supersonic Transport)の開発競争が起こった。先行したのは英国とフランスを代表する航空機メーカー2社の共同による(のちのエアバス社の前身ともいえる)コンコルドと、遅れて開発されたが各部がコンコルドと酷似しているため、西側から「コンコルドスキー」と揶揄された名門ツポレフ社の製作したTu-144。

 

米国の航空機メーカーは慎重であったが、コンコルドがエアライン各社の受注で製作段階に入ると、政府が公的資金で開発を援助することになり、ボーイング、ロッキードの2社が独立して設計を開始、それぞれ7207とL-2000という超音速機案を提示した。

 

パンナム社の塗装を想定した上の図がBoeing2707である。特徴は可変翼にある。性能的には定員最大277名を巡行速度マッハ2.7(コンコルドはマッハ2.2)で、亜音速機より高高度の20,000mの成層圏を6,850km飛行することができた。可変翼機にすると低高度で揚力を発生させ、高高度では空気抵抗を少なくできるが、旅客機では主翼の重量増加につながる先進性であるが故のデメリットもあった。

 

一方、ロッキード社の提案したL-2000(下の図)は固定三角翼という既存技術で対応できるやや保守的な案でボーイング社とのコンペに参加したが、最終決定では大型化して最大旅客数を増やしていった2707発展型には対抗できず、ボーイング社が最終案をとなった。

 

斬新的な可変翼機の技術的難関である重量増加にボーイング社は苦しんだが、コンコルドの就役で先を越された米国産SSTを追いかけるように、ジェット旅客機のパラダイムシフトが生じた。同じくボーイング社の製造するB747に代表されるワイドボデイ機による300-400名乗客の大量輸送時代である。

 

環境保護団体からはSSTが超音速を超える時に発生する衝撃波と大気汚染問題が批判の的となり、実機の完成を待たず2707SST計画はフェードアウトしていった。コンコルド、Tu-144に対して実機完成が遅れたのも大きな問題であったが保守的なロッキードL-2000が採用されていたなら、少なくとも西側社会ではコンコルドと同等のSSTが就航していただろう。

 

パンナム社を始め世界のエアラインのBoeing2707発注数はコンコルドを上回り販売上でも、乗客数でも音コルドをしのぐ成功を収めていたかもしれない。一方、コンコルドはSSTへの批判にさらされながらも、大西洋路線を始めとして運用が行われ、その美しい姿を2003年の就役終了まで飛行場でみることができた。

 


Figure: Deviant Art

 

コンコルドの就航終了を早めたのは環境問題のほか、シャルルドゴール空港で離陸直前に先行した旅客機の落とした金属破片を引っ掛け燃料タンクを破損して墜落し、乗客全員が死亡する大惨事のためである。

 

エアバス社が再度超音速機にチャレンジすることは先の記事で伝えたばかりだが、SSTをめぐる挑戦は現在も続いているが、大量輸送と両極端にあることは以前にも増して強調されたようだ。乗客20名をマッハ4.5で運ぶという仕様は大量輸送と真逆であるが1%層を対象にするなら、商業化に意味があると判断したのだろう。