光遺伝学で解明が進む記憶のメカニズム

08.04.2017

Credit: MIT

 

人間の短期記憶は海馬と呼ばれる脳の一部に形成されることがわかっている。この短期記憶が後に他の記憶と統合され別の部分に長期記憶として保存されるというのが定説であった。MITの脳神経研究チームはこのほど海馬の短期記憶と同時に長期記憶が形成されることを見出した(Science Apr. 6, 2017)。

 

1950年代に一人の記憶喪失患者の研究をもとに、長期記憶の形成に海馬が必要であることが明らかにされた。てんかんの治療のための手術中に海馬が損傷を受けたことで、記憶形成が阻害されたが長期記憶は残っていたことから、長期記憶が海馬とは別の場所に形成されるとする記憶形成の定説が生まれた。長期記憶は認知機能もつかさどる大脳新皮質に存在すると考えられていた。

 

 

脳機能の基本的なモデル

脳神経研究者は短期記憶が別の場所に転送されて長期記憶として保存されるメカニズムのモデルを考えた。当初提案された「標準モデル」は短期記憶が長期記憶への転送以前に形成され、転送後に海馬の記憶は消去されるというものであった。これに対して最近の考え方(多重痕跡理論)では海馬に詳細な記憶が残存し大脳新皮質には大雑把な記憶が存在するとしている。

 

しかしこれまでの記憶の研究は脳の一部が損傷を受けた患者に対するもので、これらのモデルを検証することができなかった。2012年に理研の利根川博士によって記憶の痕跡が海馬の「記憶エングラム」と呼ばれる細胞群に保存されることが明らかになった。MITの研究チームはオプトジェネテイクス(光遺伝学)(注1)と呼ばれる新手法を用いてマウスの脳細胞に標識をつけ細胞機能を制御して能動的に記憶の形成と読み出しの過程を調べた。

 

(注1)遺伝子操作で光に反応する光応答蛋白質を発現させて細胞機能を光で制御できるような特性を人為的に持たせる技術。これによって生きたままの動物の(脳)細胞の機能をミリ秒時間スケールで追跡することが可能となった(Nature Methods 8 (2011) 26)。最近ではアルツハイマー病のマウスを使った実験でエングラム細胞への光刺激で記憶再生にも成功している。

 

 

Credit: Nature Methods

 

覆された定説

研究チームは電気ショックで恐怖記憶を形成し光照射でその記憶を蘇らせる操作を行い、記憶形成の場所を特定した。その結果、記憶が海馬、前頭前皮質、感情発現に関わる基底外側扁桃体に存在することを突き止めた。恐怖体験の一日後には海馬、前頭前皮質のエングラム細胞に存在していた記憶のうち、前頭前皮質は光応答しない失活状態にあった。記憶が時間をかけて転送されるとしていた標準モデルに反して、記憶は最初から長期記憶状態に書き込まれていたことが実証されたのである。

 

さらに2週間後までには前頭前皮質の記憶機能が次第に活性化し記憶機能が発現すること、この時には海馬エングラム細胞が失活するが記憶機能には影響しないこと、記憶の痕跡は海馬に残ることもわかった。一方、基底外側扁桃体に形成された記憶は長期に保存され、海馬と前頭前皮質のエングラム細胞と情報交換し感情発現に関係する。MITの日本人研究者チームによる今回の発見は記憶メカニズムの全容解明につながるとされる。