スタンフォード大学はサンフランシスコ空港からバス路線7Bで行く。そう教えられたのは1970年代も終わろうとしていた頃の話。いまでは公共交通機関もCaltrainや他の路線バスも充実して移動は楽になった。
当時も今でもやはり車が必要な大学である。スタンフォード大学はシリコンバレーの中心PaloAltoにある鉄道王スタンフォードの創立した私大で、ノーベル賞受賞の教授が50人だ。この大学は裕福である。専用のヘリコプターを持ち、スタジアムではかつてNFLのスーパーボウルが開催された。広報にはプロフェッショナルの写真家がいる。
当然大学ランキングトップ5の常連である。米国の大学としては少々個性が強すぎて、人によって評価は分かれる。オープンな校風と独特のメキシカンな建物は個性的で他にはみられない。
当時すでにアジア系留学生が教室にたくさんいて、夏ともなると特別授業の教室は韓国、日本、中国からの留学生でいっぱいになる。
筆者はすでに日本の研究所に属していて、カーター大統領の提案で始った日米科学協力事業での滞在であったが、当時はアメリカ人のお坊ちゃん的な(裕福な家庭出身という意味)秀才がリーダーシップをとっていて、何か問題があると、円陣を組む(あとで知ったのだがCampfireというらしい)。その後ろに何人かのアジア系留学生が覗き込む。そういった印象であった。
彼らの特徴はデータを基本的に共有することだが、出来るヤツが引っ張って議論を展開する。それに若いアメリカ人たちを真剣に巻き込んだ議論が一通り終わると、彼らとて弱い部分が露呈する。そうすると電話をかけまくって専門家を呼びつけて輪が広まり、次第に議論は白熱し問題は解決される。なるほど、これがシリコンバレーのエンジンなのか。知識(データ)の共有、ある意味では共産的な科学の態度である。
しかし知識のある者、アイデアが豊富な者は共有しても、決して損をしないようになっている。その問題の解決者として敬意を持って扱われるからだ。
しかし今は少し環境が違うようだ。裕福な家庭のアメリカ人たちではなく1970年代後半には語学の特別授業を受けていたであろうアジア系の留学生の世代で優秀な者は研究グループの中心にすわり、キャンプファイヤーの周りはアジア系の若者が占めて、アメリカ人の若者は外側かにいる。存在感が無い。
いまこの大学では確実に研究を支えているのはヒスパニック系とアジア系の若者である。残念なことにテニュアにたどり着ける数は少ない。にもかかわらずスタンフォード大の象徴であるフーバータワー(上の写真)の前を、さっそうと歩くのはアジア系学生である。
大学構内は歩行者とサイクル優先で車は最徐行を強いられる。まるで立場が逆転したアメリカ人のように歩行者(アジア系留学生)を避けながら、ノロノロ運転だ。
様変わりした大学だが、結果をみれば仕方が無い。ランキングは上がる一方なのだから。
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