多感な(?)若い頃に、1970年代後半の全米(25州)を車で旅する機会を持ったことは、その後の自分の人生に大きな影響を与えた。
今ではレンタカーを借りて、オーランドのデイズニーランドを起点として、10日間かけてキーウエストまで行って、セントピータースバーグに立ち寄って起点に戻るツアーが販売されている。当時のフロリダでは(デズニーランドでさえ)アジア系の観光客をみることはあまりなかった。
オーランド空港につくとアナウンスで、当時のゴルフ界の帝王アーノルドパーマーが呼び出されていた。その空港アナウンスで自分の名前も呼びだされた。空港ロビ−で航空券を落としていたのであった。当時はそんなのどかな時代であった。豊かな米国の中でも余裕のある家族が集うオーランド空港は、リゾート気分で誰もが笑顔で期待に胸を膨らませていた。
フロリダ半島は生態系が保存された亜熱帯の生き物の聖地である。キーウエストについてはかいたので、ここではセントピータースバーグにある亜熱帯動植物園"SUNKEN GARDENS"についてかくことにする。
ここにはフロリダの動植物が全て詰まったミニチュアとなっている。エバーグレーズ国立公園に行けばマングローブの生い茂る湿地で大自然の驚異を肌で感じることができる。またアリゲーターと戯れることも簡単なフロリダにあってここだけは「箱庭的」で他と違う。
"SUNKEN GARDENS"には最初から違和感があったが、入ってみるとそれは確実なものとなった。人間が州内の動植物を集めて来て勝手に配置した人工的な「不自然さ」を感じたのだ。園内に入るとオウムを肩に載せて写真を撮る商魂逞しい「海賊たち」や、不自然なゾーンでいっぱい。何かおかしい。
ベンチや立て看板もよくみれば赤錆だらけで、人気がないのは明らかだが、一時は人気スポットであったことはわかった。たぶん最も米国の豊かだった60年代後半の遺産なのだろう。いまから30年以上も昔に、10年で米国が変わったことを実感できた。
そういえばフロリダには60年代の遺産がもうひとつある。ケネデイ宇宙センターである。アポロ計画時代には全米の子供達のあこがれであったこの地は行ってみると、ロケットが運ばれたレールは錆び付き、かつての「強者どもの墓」となっている。
フロリダでは錆びが多いのはハリケーンで海の水が運ばれるからだろう。人気のない施設はすぐに錆び付き、有力な米国変貌の証拠物件となる。
それでも"SUNKEN GARDENS"は生き残っているらしい。きっと60年代のノスタルジアを感じられる貴重な場所なのだろう。この時代に憧れた日本人は多かった。彼らはひたすらこの時代を米国の象徴として崇め、自分たちの文化に取り入れようとした。しかし実態は違った。70年代後半にすでに米国に「それ」は無かったのである。私ははっきりと"SUNKEN GARDENS"でそのことを知らされた。
フロリダ半島を走ると道路の側でフロリダオレンジを「ただ同様の価格」で販売している。どうみても裕福な人にはみえなかった。フロリダでさえ大規模農業しか生き残れなかったのだろう。赤錆だらけの"SUNKEN GARDENS"の看板は写真のように塗り替えられたようだ。きっといまの米国では考えられない豊かで、"(American) Dream"に溢れた時代を求めてさまよう市民はこんな場所でノスタルジアに癒されるのだろう。
いまでも日本人のイメージと"SUNKEN GARDENS"には60年代がわずかに残っている。ある意味で残酷だ。
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