ある日の成田で



ある日の成田空港にて、久々にフライトの出発遅れを体験する。

 

自分の搭乗予定の飛行機に間に合うように飛行場に駆けつけても、何も自分の行動に非がなくても、それでも飛行機が思い通りに出発できないことを経験したことはないだろうか。

 

一昔前にはオーバーブッキングというものがあった。搭乗券(いまではe-ticketなので不要だが昔は後生大事に持ち歩いていた)の裏側に、よく読むと事情により搭乗できなくなる可能性があることがちゃんと記載してある。

 

エアラインはキャンセルを考慮して搭乗できる人数以上にチケットを販売するのだが、キャンセル客が予想より少ないと、オーバーブッキングが発生する。

 

その場合は次の便があれば振り替えてくれるので、米国内なら数時間差で移動できるし、頼めば別のエアラインにも振り替えてくれた。何より現金のベネフイットがつくので臨時収入に笑顔で答える人も少なくなかった。

 

昔(1970年代)の米国のサービスセクタは応対のマナーが徹底しており、カウンターの女性のにこやかなスマイルと落ち着いた物腰に、文句をつける気がだんだんなくなる。結局、最後には納得してお金を受け取り次の便の客となる。このあたりの流れは実によくシミュレートされていて客への対応は完璧である。

 

今回の成田では2時間遅れであったが最終的には現地で4時間に増幅された。しかし太平洋路線となると次の便が翌日になる。太平洋便では最初はVolunteerをつのる案内から始まった。この時点で誘いに乗っていたら$1,000と交換であった。時間が経ってから自分がオーバーブッキングになっていることを知らされた時には$600とホテル宿泊費の支給となった。

 

選択肢はなかった。それでも当時の$600はいまの10万円以上である。得をした気分だが帰ってから旅程変更で始末書をかかされた。

 

成田では2時間の遅れに対して2,000円が食事代として支給された。金額がどうこういうより問題は遅れの原因であった整備の詳細について説明はなかったことだ。「メンテナンス」のため遅れたという説明はいかにも不安だ。2時間で何かの部品を交換したことは明らかなのにどの部品であるかを説明しない。



米国のエアラインは説明がないと、乗客からクレームが来るのでちゃんと説明する。日本では何事最初かは隠そうとする。しかし隠さないで説明した方が安心感を与え、信頼性を失わないと思う。