Photo: massimovillas
シシリー島のエリーチェというと大抵の欧州人はニヤッとする。彼らにとってはリゾートでもあるこの中世にタイムスリップしたような街は特別の意味があるようだ。
物理学者のフェルミとの縁でここでは物理系の国際会議が度々行われる。欧州には中世の修道院で会議が行われることは珍しくないが、ここは街全体が中世そのままで石畳に面した家々には窓はなく、店といえばブロックごとに1件くらいあるレストランだけだ。
ここに一週間滞在したら中世を満喫できる。ホテルはない。修道院を改造した宿泊施設だけである。ここにはエアコンはもちろんない。ここで開催される会議は1週間分の宿泊費と食費込みで600EUくらい。考え方によっては安いかもしれない。
昼食や夕食時にレストランを探して歩き回る。毎日別の店を選ぶのだがどの店もほぼ同じメニューである。
一週間ここで過ごしてみると中世の生活が偲ばれるのだろう。私にはここの一週間は苦痛だった。
中世の重苦しい雰囲気が好きになれないのと、朝夕は涼しいといっても日中の暑さは半端ないこと、それにシャワーを取りながら外に見える城壁やものみの塔を見ていると、おぞましい中世が身近に感じられ寒気がする。
欧州人はそれでもここに郷愁を感じているようである。きっと古都を散策するのが好きな日本人のようなのかもしれないが、心の中に中世への望郷が宿っているのだとしたら、恐ろしい。
そのため山の中腹にホテルがあってどうしてもここに馴染めない(エアコンが必要な)人はそこから通うことになる。しかし街中の修道院に宿泊する人たちとの間に心の垣根を作ることになるから、それをする人は滅多にいない。
しかし何度か修道院で閉ざされた1週間を過ごすうちに自分も馴染んでいくことが怖い。ここのワインは甘くて糖尿病になりそうになるし、当分ここでの会議は行かないことにした。
もしかすると欧州人の心の何処かに不自由なはずの中世を慕う闇の部分があるのかもしれない。どうしてそう感じるかというと...
エリーチェという言葉が出てくると私の友人の欧州人たちは懐かしそうな顔をして「あそこは特別なところだ」という話になるからだ。中世の不自由さを懐かしむのはなぜなのかはわからないが、私には不自由さを懐かしむマゾヒズムに見えるのである。
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Taro (月曜日, 21 11月 2016 09:51)
ここの夏は暑いですね。エアコンは欧州の3星ホテルにはなくて当然ですが、ホテルが街中にあったらいいなと思いますね。