イエメンの空爆(3月26日)は、世界最大の油田があるアラビア半島でのサウジアラビアとイランの代理戦争に発展する恐れがあることは記事に書いた。スンニ派のハーディ大統領の政権拠点となっている人口59万人のアデンは、古くから欧州とインド洋を結ぶ通商の要衝であった。
1937年にイギリスは植民地とすると港を整備するとアデンの通商拠点としての価値が高まり、近代的な客船や貨物船が寄港することとなり発展を遂げた。1967年にイエメンが独立すると政府は社会主義よりの路線をとることとなったため、ソ連の海軍基地が置かれたが、ソ連崩壊とともに他国の艦船も寄港するようになった。
イエメンの内戦状態は最初ではない。1994年の内戦では南側勢力が分離独立を求めて戦闘状態となった。サウジアラビアの南イエメンびいきはこのときからで、油田が多い南イエメン勢力の支援をしたが、結局、南の勢力は鎮圧された。ハーデイ大統領はこのときの国務大臣であったが根っからの軍人である。2011年のイエメン争乱時にサーレハ大統領の代行を努め、その年の11月にサーレハは後任にハーデイをすえ自分は退任した。
しかしその後、北部に民兵組織フーシが勢力を強め、大統領官邸や公営放送局を選挙し実力支配すると、大統領の座を負われる事になった。ハーデイは厳密には辞任していないのでフーシとの抗争はそれ以来継続している。その意味で空爆で内戦が勃発したというのは正確でない。ハーデイは長くアデンを根拠としていたがサウジアラビアに逃げた。
アデン周辺の海岸は美しい砂浜の海岸線が続く。イエメンは空爆後内戦となったがスンニ派(50%)とシーア派(42%)が拮抗し、政治的な不安定性は以前から潜在的なものであった。
アデンはマンダブ海峡を出口に近くアデン湾をはさんでソマリアと向き合うが、ソマリアの海賊襲撃事件の多くはアデン湾で発生している。1990年のソマリア内戦から海賊が活動を広げ、スエズ運河とマンダブ海峡を通る年間2万隻の商船に脅威を与えている。
このためアデン湾には各国の艦船が集結し自国の商船の警備と海賊の取り締まりを行なっている。マンダブ海峡は世界の8大チョークポイントのひとつであるが、アデン湾は海賊のリスクが極めて高い危険水域である。「イスラム国」同様に無差別で攻撃をしかけてくるソマリアの海賊(下の写真)は、テロリスト以外の何者でもないが、それをつくりだしたのは内戦と貧困である。
一方、イエメンはインド洋のソコトラ島(ページトップの衛星写真と中段の地図を参照)を領地としているが、この島(正確には群島)は世界遺産の生態系で知られる。人口約4万のソコトラ島はアデン湾と同時に2300万年〜500万年前にアフリカ大陸から分離したと考えられている。苛酷な気象条件の下で動植物が独自の系統的進化を遂げ、「インド洋のガラパゴス」と形容される。テロリストや海賊とは無縁の南海の楽園が同じ地域に存在することは何とも皮肉だ。
植民地から独立後に政権が不安定となり内戦が勃発すると貧困化が進み海賊やテロリスト支配を生む、この構図の背景には帝国主義の身勝手な植民地政策があった。宗派闘争とアメリカの対テロ政策がこれに加わり一段と複雑化し中東の一触即発の危険性は高まった。