フーシ(Houthis)は、イエメン北部を拠点に活動するシーア派の武装勢力でアブドル・アル・フーシに率いられ2014年9月にイエメンの首都サヌアに侵攻した。2015年1月に大統領ハーデイは辞意を表明(注)、政府は転覆することとなった。写真は気勢を上げるフーシ部隊。
(注)正確には議会承認が得られていないので退位は公式のものではないが、ハーデイは本拠地アデンを捨て、2015年3月にはサウジアラビアの保護を受けることになった。
ハーデイはサヌアが陥落してからアデンの大統領官邸にとどまっていたが、ハーデイの逃亡でフーシ派が占拠している。また周囲を山で囲まれた自然の要塞アデンにはフーシ派に近い武装勢力が集結し、海上からイランが戦略物資や武器を持ち込まないよう米海軍艦船が警戒にあたっている。
政府軍とサウジアラビアの連合軍の空爆ですでに600名の死亡者と1700名の負傷者を出しているが、サウジアラビアはフーシ派掃討作戦のため特殊部隊がアデンに送り込まれ内戦が本格化する恐れが出て来た。また国境付近でも銃撃戦で死傷者がでている。フーシ派を支援するイランと鎮圧したい政府=サウジアラビアの代理戦争のリスクはアラビア湾を北上するルートと南下してインド洋にでるふたつのオイルロードの安全保障に障害となる。
フーシ派のこうした動きには実はサレハ前大統領が大きく関わっている。1990年5月に南北イエメンが統一されたがその時の初代大統領がサレハであった。1994年のイエメン内戦は鎮圧され1999年に国民の直接投票で正式にサレハ大統領が再選された。2011年アラブの春により反政府活動に火が付きサレハは退陣に追い込まれる。そのときに副大統領だったハーデイが暫定大統領に占拠で選ばれた。しかし2015年1月のフーシによる議会の強制解散でハーデイが2月に辞意を撤回したが議会承認は成らなかった。
歴史を辿るとオスマン帝国の影響を受けた北イエメンとイギリスの植民地であった南イエメンの対立、戦争によって一時イエメンを併合したサウジアラビアが複雑な力関係を及ぼす中、南北統一で成立したイエメン共和国には潜在的な不安定要素が多かったということになる。