北アフリカは中東の紛争から遠いと思いがちだが、広大な砂漠の大部分を持つリビアは近代史の中で重要な役割を演じて来た。2月20日、そのリビア東部で同時多発テロがあり民間人45名が犠牲となった。リビアの歴史をみればこの地の特殊な事情が浮かび上がる。上の写真は首都トリポリの海岸。一見すれば地中海のリゾートである。
リビアの人口は640万人で広大な領土だが人口密度は低いが、いわくつきの自国通貨リビアデイナール(注)を持ち、アフリカ最大の埋蔵量を誇る石油輸出でGDPは一人当たりでアフリカでは稀な先進国レベルの富裕国である。首都トリポリは地中海岸にベンガジと相対してカルタゴ以来の歴史を持つ温暖な地中海気候で国の1/3の人口が集まる。人口の97%はモスリム(スンニ派が主流)。
カダフイの野望ーアフリカ経済統一
(注)カダフイ政権が王国通貨(リビアポンド)を廃止、デノミと同時に新通貨リビアデイナールを発行した。カダフイは金本位制度を貫く中央銀行で自国の通貨価値を担保したが、ドルを基軸通貨としないアフリカ統一通貨をつくるという挑戦的なカダフイの政策は米国の安全性を脅かす存在となった。
オスマントルコの崩壊後に植民地化したのはイタリアであった。しかしイタリア軍の非力さを補うために派兵されたロンメルがリビアを拠点とするドイツアフリカ軍団で北アフリカ戦線で猛威をふるった。リビアの独立は1949年に王国としてであったが、1969年にクーデターによりカダフイ大佐率いる軍事独裁政権となった。
カダフイ政権下で治安は維持できた
独裁政権時代の1970年から1990年の間に世界中でテロ事件を起こしたとして欧米諸国と敵対し、1986年に米国が空爆を行なった。2001年911以降は米国と協調路線をとるが内戦状態となり、2011年にカダフイ政権は崩壊する。しかし皮肉なことに2014年から内戦状態となり、各地でイスラム系武装勢力の攻勢が活発化した。
サダムフセイン、カダフイとも独裁者で知られるが治安はむしろイラク、リビアとも独裁政権下で安定していた。独裁政権の崩壊後政府の治安能力が低下すると武器が流れ込むため、国内テロが頻発することになった。リビアは北アフリカの中央にあり、南下すれば中央アフリカ、東はエジプト、西はアルジェリア、チュニジアと交通要所であることは、ロンメルがトリポリ上陸でリビアを拠点に北アフリカを支配しようとしたことからも推測できる。
誰も支配できないリビア
しかし砂漠の狐と恐れられた名将軍も物資補給が命取りで敗退。安定政権を築いたカダフイも崩壊した。この国を支配したカルタゴも東ローマ帝国もオスマントルコも滅び植民地化したイタリアは敗戦。テロリストもこの地を収めることはできないだろう。