西アフリカの歴史 Part2 ナイジェリアとボコハラム

 

 リベリアとともに今回のエボラ出血熱の感染者が集中した西アフリカに位置し、アフリカ最大の人口で知られる。ナイジェリアに隣接するニジェールは混同し易いがどちらの語源もニジェール川から来ている。


ナイジェリアの植民地の歴史

 ナイジェリアの植民地の歴史は15世紀後半にポルトガルが現在は最大の都市であるラゴスを建設し付近一帯(奴隷海岸)の奴隷貿易拠点として、本格的に開始された。奴隷達は西アフリカで集められラゴスに代表される拠点を経由して南北アメリカに送り込まれた。


 19世紀に奴隷貿易を禁止したイギリスの支配下で本格的な植民地となったが、実際には奴隷貿易そのものは、禁止になっても数10年続いた。1960年に完全独立を果たすが、統治は共和制と軍によるクーデターの繰り返しで混迷を極めた。西アフリカはカカオの生産地で知られるがナイジェリアのカカオ生産料は世界4位、シェア6%である。ここでも児童労働や現物をはるかに上回る先物取引など現地の利益を阻害する問題があり、キャロルオフ著の「チョコレートの真実」に詳しくかかれた搾取構造は植民地そのものといえる。


 度重なる共和国政権樹立を経て、20世紀直前の民社化後も北部のイスラム教徒がテロ組織(ボコハラム)をつくって武装闘争を行うようになったため、治安が悪化した。


 ニジエール川周辺のデルタ地帯は肥沃で石油産地であるために石油収入は多いが国民の貧困は改善されていない。石油産油国としてOPECの一員であり世界8 位の実績がある。



ボコハラム(Boko Haram)

 ボコハラム(Boko Haram)はエボラ出血熱とは関係ないが最近の国際ニュースを賑わすイスラム過激組織でキリスト教徒の住む村を襲撃し、略奪、殺戮を繰り返し、女性を奴隷として売り飛ばすなどが深刻化すると、ナイジェリア政府もテロ組織撲滅を打ち出しているがいっこうに収まらない。ボコハラムの特徴はキリスト教を敵とする宗教反目のみならず西洋式教育だけでなく西洋文明、現代科学を攻撃の対象としている。


 西欧文明への反撥という意味では「文明の衝突」ともいえる点で、政治宗教テロと区別されるが行為自体は同類である。無差別無慈悲な行為は自分たちの暗い過去と搾取に対する怒りがエンジンとなっているとしたら、奴隷貿易と植民地政策という西欧文明の影の部分に根本的な問題が有るのかも知れない。暗い過去を清算するにはどうしたら良いか。エボラ出血熱のアウトブレイクは暗い過去を呼び戻した感があるが、まず事実に目を背けないことこそ第一歩ではないか。