論文ねつ造と別にSTAP細胞の再現性を巡る疑義が巻き起こっている。世紀の論文ねつ造事件として知られるベル研究所のシェーンを想起させる。彼は後述する高温超伝導のフイーバーさめやらぬ2000年代初頭に有機超伝導を独自のデバイスで観測したとして話題となった。シェーンは実験をする際に、何処ともなく消えては、結果をもって颯爽と現れScience,
Natureを手玉に取り、もてはやされた正真正銘の詐欺師であった。
シェーンの上司であるバトログは不正についての関与を否定し、共著者あるいは上司としての責任を逃れたどころか、いまでもスイス工科大学(ETH)の正教授に居座っている。STAP細胞事件の小保方氏に関する文芸春秋の詳細な記事をみる限り、野心家としての共通性、共著者、監督者の責任回避についてふたつの事件に共通点が多い。
日本の研究者が当時シェーンにメールするとすぐに返信があったという。暇であるはずがないのに、おかしいと思ったそうだ。その予感は的中してしまう。独立した実験データに同一ノイズがあることをNatureの編集者がシェーンに指摘したとき、彼は「誤って同一の実験のグラフを提出してしまった」と主張した。
高温超伝導
科学技術の発展にいわゆるFake Scienceが果たした功績がある、といったら語弊があるだろうか。悪意でしかけたFake
Scienceは意外にも必ずしも否定的な側面だけではないのだ。1986年アレックスミューラーによって高温超伝導が発見された。超伝導は、特定の金属や化合物などの物質を非常に低い温度へ冷却したときに、散乱によって生じる電気抵抗が急激にゼロになる現象で、単体の元素で最も超伝導転移温度が高いものは、ニオブの9.2Kである。
ミューラーはNatureを選ばずに"Zeitshrift fur
Physik"という、格式はあるが若い研究者は避けたがる、独語専門誌に発表した。Natureのような商業誌を嫌う「彼ならでは」のことである。そのインパクトは世界中を駆け巡り膨大な数の研究者を巻き込んだ。これまでの壁が打ち破られると各国の研究者がこぞって参戦し熾烈な研究競争によって、転移温度があっという間に増大した。
いつしか常温超伝導の言葉が生まれ、研究者を刺激すると同時に数々の追試でがっかりさせられるUnidentified Superconducting Object
(USO)も登場したが、本質的には悪意の無い不注意によるもので、がっかりしても誰も責める研究者はいなかった。
しかし研究者を奮い立たせ予算獲得の説得力を持たせるにはこの言葉は充分に魅力的であった。常温の300Kはいまだに実現されていないが、液体窒素温度を超える90K超伝導が発見されると現実味を帯びて、誰もがこの言葉に罪悪感は持たなかった。その後、開発競争は先細りにはなったが、それでも半分の150Kに達した。この間の研究開発に使われた予算は膨大で、この魅力的な言葉がなかったら実現しなかったであろう。
ミューラーは当初から高温超伝導は基礎科学であることを強調しており、地道な研究を好み、派手な宣伝や利益構造に巻き込まれることを極端にきらった。それでも常温超伝導の響きは科学者、技術者、企業、役人そして世間を刺激し、その影響を受けて同時代(1980-1990年代)にはもうひとつのFake Scienceが現れた。
常温核融合
我々の良く知る水素の核融合反応は水爆であるが、制御された核分裂反応が原子炉であるように核融合を制御して新しいエネルギー源とするための核融合炉の研究がある。数億度の高温を用いる核融合は特に熱核反応と呼ばれるが、燃料としては、原子核の荷電が小さく原子核同士が接近しやすい軽い核種、水素の同位体が選ばれる。
実際に数億度の高温を用いる条件を原爆以外で人工的につくるのは困難を極める。それでもプラズマを高密度で閉じ込めたり高出力レーザーを一カ所に集めたりして、高温、高密度状態をつくりだす研究が各国で、また国際協力で活発に行われている。金属の触媒作用で常温で核融合反応を起こす、というのが常温核融合である。
1989年に水素が重水素でつくられる水(重水)を満たした試験管に、パラジウムとプラチナ電極を入れ放置、電流を流したところ、電解熱以上の発熱が得られ核融合の際に生じた証拠としてトリチウム、中性子、ガンマ線を検出したという発表があった。試験管でできる実験なので世界中の研究者が追試した。ちなみに911で崩壊したWTCの現場から低濃度のトリチウムが検出されると、一部で水爆説が浮上した。常温核融合は再現性が得られず、結局、Fake
Scienceとされた。
一方、常温核融合の正体は原子核が他の原子核に変化する核変換現象だったという解釈がでた。この可能性はあり得る。最近、三菱重工の先端技術研究センターはパラジウムの触媒作用によりCsをPrに元素変換する技術を開発した。よく知られているようにCs137は核生成物の 有害な同位体で、福島原発の際に大量に大気中に放出され太平洋に流れ込んだ一部は生物濃縮で北米海岸の魚を汚染しているとされる。
Csがパラジウムの多層膜にCsを添加し、重水素ガスを透過すると、CsがPrに変換していくことが観測された。Cs133からPr141への転換は変換は原子番号が4、質量数が8増加している。中性子捕獲が起こっている可能性があるがそのメカニズムは謎である。この現象を利用すればCsをPrに変える夢のテクノロジーになり得る。加速器を使わない中性子錬金術であれば画期的である。
Fake
Scienceは当初は研究者の野心、不注意、研究所の宣伝、様々なきっかけで興味本位の大衆を巻き込んだ時点で、フイーバーを作り出す。それ自身は無駄な予算や労力で(マクロ的には)もちろん負の効果だが、少なくともフイーバー期間は潤沢な予算が研究開発にまわされて、研究人口も増大する。基礎研究には目的意識の強い戦略的側面の他に、シード研究や関連分野への展開という戦術的側面もある。
プロジェクト研究は後者が弱いが、フイーバーはそれをカバーして研究者層を厚くし、予想外の発見や隣接分野への刺激や展開という副産物が生まれる。プロジェクトに忠実すぎれば新発見を見逃したり、無視せざるを得ない。Fake Scienceはフイーバーに一役買うという点では、案外、役に立っているのかも知れない。
責任の所在と追求
今回のSTAP細胞事件は現在の我が国に蔓延する研究開発のジレンマを物語っている。シェーンの事件と異なるのは共著者が責任を取って死を選んだことだ。ミューラーがNatureを選ばなかったのは自分が巻き込まれるリスクを避けたからだ。
皮肉なことにバトログが居座るスイス工科大の正教授は、ミューラーが目指してかなわなかったポジションである。研究に関わらず何事も、公表にはひと呼吸する余裕が欲しい。もしそれが許されないようなら、科学者は奴隷でしかない。