トルコ領でイタリア半島と目と鼻の先にあるガリポリは軍事的拠点で第一次大戦中に連合軍がイスタンブール目指して行った上陸作戦(ガリポリの戦い)が有名である。ガリポリの戦いは海軍の戦術に関する講義で必須の歴史的作戦であった。
陸・海・空3軍の総力を結集した連合軍は短期決戦を想定して挑んだが、勢力が衰えていたはずのオスマン帝国側の予想外の頑強な抵抗にあって多大な損害を出して撤退し、上陸作戦は失敗に終わった。この戦いはそのため上陸作戦のリスクの講義材料として代表的事例とされる。写真は戦死者の墓地。
きっかけとなったのはオスマントルコに窮地に追い込まれたロシアが連合国に助けを求めたことで、チャーチルはイスタンブール進軍を目標にこの地に上陸作戦を計画した。作戦にはイギリス海軍の他、フランス、オーストラリア、ニュージーランドが参加して行われたが、オスマントルコ軍を過小評価したことが致命的なミスであった。オスマントルコはドイツの軍事顧問で戦術にたけた精鋭部隊6個師団を配備し、狭い海峡に機雷を敷設して待ち伏せていたのだ。
英仏艦隊による海上からの砲撃が開始されたが海峡の制圧はできなかった。また同艦隊は海峡突破を試みたが、オスマン側が敷設した機雷と砲台からの砲撃で戦艦3隻が撃沈された。その後上陸作戦を強行するも強力なオスマン守備隊で戦線がこう着状態となり、目的を果たせないまま1915年12月に撤退を余儀なくされた。終わってみれば連合国軍は交戦で4万、腸チフスで14万の犠牲者を出して完全な作戦の失敗であった。
ガリポリへ上陸する避難民
そのガリポリにふたたび上陸を試みている人たちがいる。シリア難民である。シリアからの難民はトルコの港やキプロスを出港し、不法移民を運ぶ密航船でガリポリやイタリアコリアーノに入港する。イタリア当局は3日、寒さと空腹に苦しんでいた乗客360人を船から救出した。中東やアフリカの人々が、紛争や貧困から逃れるために地中海を越えて、イタリアコリアーノの港に沈没寸前で到着した。
密航に使われるのは貨物や家畜を運ぶための古い輸送船で船内に詰め込まれた不法移民は大金を密航業者に払って、苦渋をしいいられながら船倉に雑魚寝で地中海の荒波にもまれる。こうした密航船は拿捕された時には乗組員が逃げた「幽霊船」で波間に漂っている危険な状態だ。
生命のリスクを掛けて欧州に渡る難民の数は増える一方で、年間10万人の大台を超えている。今後の数年で20-30万人という大量の移民を受け入れる余裕はもちろんEUにはない。移民の問題を根本的に解決しなければならない。予想もしなかったイスラム圏から、ガリポリ上陸がなされている。いったんガリポリに上陸できればイタリアに渡ることは容易だ。